高久がサントラベルにWWWページのフォームで9/10午前出発9/13午後到着の飛行機の便を問い合わせる。 早速返事がメールで返ってくる。空いている便は一つしかないことがわかる。 つくばからのバスでは間に合わないが、しかたない。その便を予約する旨を伝えるメールを出す。 予約便名、搭乗者の性別と氏名、具体的な金額、 振込先、入金締め切り日、担当者名と、 予約確認書の送付先の確認事項などが書かれたメールが届く。 予約確認書を郵送で江草の自宅に送付してもらうようにメールを送る。
集合場所、集合日時が書かれたメールが届く。
JTBで海外旅行障害保険に加入する。5000円だった。ちょっと高いけどめんどくさいのでそのまま加入した。 航空券の料金を振り込む(ただし、日曜なので、実際の振り込み日は次の日)
当日つくばを出たのでは飛行機に間に合わないので、高久の実家に泊めてもらう。 高久の姪と遊ぶ。 台風が近づいていて、飛行機が定刻通り飛ぶかどうか不安になる。 柳さんの韓国での連絡先を聞いてなかったので、 慌てて柳さんに韓国の連絡先を教えてもらうようにメールを送る。 すぐに返事が返ってきて、チェックイン後に電話するようにとなり、一安心。 (ってゆーか、もっと早く連絡先を聞いておくべきだった...。)
早めに高久の実家を出る。日暮里までの切符を買おうとすると、 切符の自販機にイオカードが吸い込まれて出てこなく、 駅員さんが処理してくれるのを待つ(早めに出発しといて良かった)。 始発の埼京線に乗り、あとは順調に成田に着く。
台風が近づいていて飛行機が順調に飛ぶかわからなかったので、 定刻通りに飛ぶことを、柳さんに国際電話で知らせる。 このとき、クレジットカードで電話を掛けようとしたが、 ちゃんとやり方を見ずにやろうとしたので、 うまくできているのにできてないと勘違いし、 結局テレホンカードを使って電話をかけた。
パンを持ってきていたので、ジュースを買って飲み食いする。 手荷物検査を受けて、出国審査(要パスポート、搭乗券)に進む。 ちょっと出国審査に進むのは早かったかも。 でもはじめての海外旅行で落ち着かないので、まあいいかと思う。 高久が免税店で腕時計を買う。 9:00に搭乗手続きに行く。
飛行機に乗るとすぐに入出国カードが配られる。 凡例があるのだと思っていたがなかったので、しかたなく 「地球の歩き方」をみる。 ぐずぐずしているうちに、飛行機が飛び立つのでとりあえず、 机をしまう。落ち着いた頃に再び入出国カードを書こうとするが、 台風が近づいている影響か気流が乱れており、すごく書きずらかった。 おまけに酔って気持悪くなった。韓国での滞在先は、柳さんに教えてもらった 連絡先を書いた。 そうこうしているうちに、機内食が配られる。カレーだった。 機内食を食べ終わって、片付けるとすぐにソウル に着いたって感じだった。(まあ、2時間強のフライトだもんね。) 日本を出るときは横殴りの雨が降っていたのに、 韓国は晴天だった。
入国審査に手間取ったので、荷物を待っている人はほとんどいず、 すぐに荷物が出てきた。 結局、到着出口を出たのは12:05くらいだった。 到着出口の右の方で柳さんと待ち合わせだったのだが、 出るのが遅くなったし、出口も一つしかないように見えたので 人の波につられてあまりなにも考えずに到着出口から出てしまった。
到着出口にはツアーのガイドっぽい人が沢山いたが、 柳さんは見当たらなくてかなりあせる。私たちが出た到着出口はBだったのだが、 到着出口はFまであるので、ひょっとしてFかもと思って、 Fの方まで行ってみるが柳さんはいない。 しかたないので、もう一度Bまでもどると無事柳さんと会えた。 後でわかったことだが、本当は到着時間が11:55なのに、 メールでは12:10と知らせていたため、 柳さんが来たときは私たちはすでに出てしまったあとだったというわけ。 (メールで知らせた情報は、飛行機チケットを入手した サントラベル社 からのメールをカットアンドペーストしただけなので、 悪いのはサントラベル!!。まあ、ちゃんと確かめなかったうちらも悪いけど。 後日談:このWWWページをたまたま読んだサントラベルの人から2001.12.25に 丁寧なお詫びのメールを頂きました。好感度UPですな。)
両替に行く。柳さんが国際学生証があると手数料が30%OFFになる銀行で 両替してくれる。50,000円分両替した。レートは100円:1,055.20ウォン。 大韓航空でリコンファームをしにいくと、 リコンファームはしなくてよいといわれる(本当か? と思い、かなり不安になる。)
空港からソウル市庁(Seoul City Hall) 行きのバスのチケット(5,500ウォン)を買って、バスに乗る。 最前列の席に着く。途中、地面が一面ピンク色の場所があってきれいだった。 干拓しているのでいそぎんちゃくかなにかなのだろうか? 塩田もあった。
昌徳宮(チャンドックン)に行くためにタクシーを捕まえる。 柳さんがビュンビュン走っているタクシーを停めに、 手を挙げながら行くところを見てびっくり。 その上、停ったタクシーも何やら交渉してすぐに走り去っていく。 行き先によって行ってくれるタクシーと行ってくれないタクシーがあるのだろうか? やっと、昌徳宮(チャンドックン)に行ってくれるタクシーが捕まって乗り込む。 するとタクシーの運ちゃんがなにやら後ろの車の運転手のところに歩いていって、 すぐに戻ってきた。柳さんが何事もなかったように「ああ、事故かな?」と 行っていたので、そんなによくあるのか? と思ってまたびっくり。
タクシーで向かうが、月曜日は休みだった。 柳さん曰く、昌徳宮(チャンドックン)は昔のまま残っていて、 昔らしくてよいそうだ。見れなくて残念。 すぐ隣の昌慶宮(チャンギョングン)に向かう。
タクシーは初乗りが1600ウォンで、とても安い。 幸い昌慶宮(チャンギョングン)は営業していたため、入ることにする。 入る前に、お饅頭が売っていたので買って食べる。 日本の普通のアンコが入ったお饅頭と似ていた。 変わっていたのは中に空気が入っていたのと、ゴマ油の香りがしたこと。
入場料は700ウォン。 旅行の荷物を持っていたので、柳さんが重たいだろうと気を使ってくれ、 門番(?)の人に荷物を預かってくれるよう交渉してくれて、 無事預かってもらえた。
日本と違うのは順路とかが書いてあるわけじゃなくて、 好きなようにまわれること。建物は全部閉めきってあって、中は見れなかった。 柳さん曰く、韓国の人は開けておくと勝手に入ってしまうので、 開けられないようだ。
階段にいろんな装飾してあって、装飾している部分は王様が通る所だそうだ。 結婚アルバムの為の撮影を至るところでとっていて、 この撮影、夏とか冬とかに撮影すると大変なんだろーなと思った。 冷たい甘酒のジュースを飲んだ(缶ジュース、自販機で売っている、700ウォン) 生姜が入っていてさっぱりとしていて以外と美味しかった。 偉い人(王様とか)の胎盤(?)を祀ってある石碑があった。 韓国では昔、偉い人は胎盤(?)をきれいな景色のところに祀る風習があったそうだ。 一通りぐるっとまわる。とにかく広かった。 芝生がきれいで、ピクニックにきてもよさそうなところもあった。
昌慶宮(チャンギョングン)を出て次に行くところを決める。 大学路は歩いて20〜30分の所にあるが、 平日なのでパフォーマンスなどはあまりないそうだ。 あとは、仁寺洞(イサンドン)は原宿みたいなところで、 ショッピングとかができる、 平日とかでもパフォーマンスやっているよということだった。 そこは大学路よりも少し遠いけど。ということだった。 で、私たちは仁寺洞(イサンドン)に行くことにした。 その前に、景福宮(キョウンボックン)も営業していることがわかったので、 景福宮(キョウンボックン)にいくとこにした。タクシーにのって向かう。 バスは初乗り1,200ウォンなので近くなら3人いるのでタクシーに乗る方が安い。
景福宮(キョウンボックン)は、昌徳宮(チャンドックン)よりも 改修されたりしているのできれいだけど、新しい感じだそうだ。 こちらのほうがいかにも観光地って感じで、 観光バスなども沢山あり、日本人などの団体客が多かった。 こちらも荷物を預かってくれるように交渉したが、こちらはだめだった。 国立民族博物館にはコインロッカーがあるようだが、 そこまで持っていくのも大変なのであきらめた。
時代劇の撮影をしていた。今、かなり人気のあるドラマのようだ。 勤政殿は現在修復中だった。ここは順路があった。ここも広い。 韓国の王宮はけっこう緑を使っているような気がする。 こちらの建物の方が全体的に大きいような気がするが、 基本的には昌慶宮(チャンギョングン)とつくりは変わらないようだ。 柳さんに、オンドルについて説明してもらった。 オンドルの為の煙突が遠くにあるのは金持ちの象徴のようだ。
印象的なのは明成皇后遭難地。そんな事件があったなんて知りませんでした。 習ったかもしれませんが、全然覚えてませんでした....。
景福宮(キョウンボックン)敷地内にある国立民俗博物館に行く。 コインロッカー(無料)に荷物を預けて、 日本語のガイドが流れる機械を借りる(7,000ウォン?)。 ここで一通りの韓国の民家の作りや、伝統衣装、料理などを見る。 でも、肝心のキムチが工事中かなんかで見れなかった。 とにかく広くって、ここでそうとう疲れる。 2時間近くかけてまわったが、最後の方がかなり適当になった。 ガイドが流れるのはいいのだが、ガイドが流れている間は次にいくと もったいないような気がして、すごく時間がかかった。 ここで、景福宮(キョウンボックン)の絵はがきを買う。
国立民俗博物館から景福宮の出口に向かって進むと、 とても大きな階段と建物をみる。なんだか壮大な感じがしてよい景色だったので、 写真を撮ってもらう。
仁寺洞(イサンドン)まで徒歩で向かう。 途中、警官の制服をきた二人ぐみを見掛ける。その少し後ろに、ジーパンとポロシャツのような格好をした二人ぐみもいる。 この人たちも警官なのだそうだ(ようするに私服警官)。 この辺は観光客がおおいので、このように警官がいるのだそうだ。
イメージとしては、けっこう庶民的な感じがした。 ここで、念願の茶漉し付きのカップを買った。 柳さんが値切ってくれたので、16,000ウォンのところを15,000ウォンで買えた。 絹で作った小物の店が結構かわいかった。 ここで色とりどりの判子が作れる店があった。結構安く作れるので、いいらしい。
不思議な飴(?)が実演販売で売っていた。白い飴をすごーく細くして ナッツをキャラメルで絡めたような餡をとじたようなやつでした。 結構、おいしかった。
一通りまわったら、夕食に行くことにした。 柳さんが、韓国の定食の美味しいところに連れていってくれた。 水のかわりに重湯のような飲み物がでてきた。ごはんを炊いたあとの釜に お湯をいれて溶いたものだそうだ。 一人前10,000ウォンでかなりの量がでた。キムチが5種類くらいに、魚に豆腐に 味噌汁に、豆腐のスープに...。あとマッコルリという日本のどぶろくのようなお酒 (すごく美味しかった)と松でできたお酒を飲んだ。これで一人1,000円だもんなー。
バスで柳さんの友人宅に向かった。(バス代:1,200ウォン) バス停では、バスが来る度に乗りたい人が車道にわらわらと出ていくのでびっくりした。 こちらでは、これが乗りたいという意思表示のようで、 車道に出ていく人がいないとバスは通りすぎていく。 バスはドアを閉めながら発進することにも驚いた。 あと、バスの中でラジオがかかっているのにびっくり。 あやうく乗り過ごしそうになった。 何人かバスに乗るときや降りるときに、 カードのようなものをかざしているのを目撃した (財布にいれたままのもあったので、たぶんICカードだと思う)。 柳さんによると、今韓国では、バスの料金を後払いできるクレジットカードがあって、 すごく流行っているのだそうだ。
泊めてもらうお宅のある地域は、日本の田園調布のような高級住宅街らしく、 どの家やマンションも駐車場に警備員がいたり、SECOMが入っていたりしていた。 たぶん北漢山国立公園の近くでオルリムピアホテルから歩いて15分くらいのところにあると思う平倉洞??。
夜中に、腹痛 and 背中痛がすごくて目が覚めて、全然寝れなかった。 そういえば2日まえから痛かったかも。 2日前は痛いと言うよりは張っている、だるいって感じだったけど。 2日前にも、1日前にも同じように夜中の2時ころからだるくて(痛くて) 眠れなかったし、だんだん症状が重くなっているようだ。 せっかく(?)保険にも入ったし、いい経験(?)なので、ただの腹痛だったらいいけど、 肝臓とかなんかやばい病気だったらこわいし、病院に行くことにした。
そのことを柳さんにつたえると、宿をお世話になっている柳さんの友人が、 お腹を暖めるマッサージ機を使わせてくれた。 そのあと、お腹にきくというツボ(親指と人指し指の間の付根)を教えてくれて、 ぐりぐりとしてくれた。(すごく痛かった....。)
保険に指定してある病院にタクシーで向かう。 途中、混んでて左の車線にタクシーが入れなくて、 右の車線を通ろうとして通れないバスの運転手とタクシーの運転手が、 言い合っていておもしろかった。
その病院は日本語のわかる医者がいるようだし、 柳さんがついてくれているので、そんなに不安はなかった。 お金も保険会社指定の病院なので直接保険会社からお金がいくので、 私は払わなくていいし。
保険のガイドブックには予約がいるとあったが、空いていたのかすぐに見てもらえた。 日本の医者より時間が長くて丁寧だったような気がする。 結局、食べ過ぎ?というか韓国の刺激の強い食事が合わなくて、お腹がただれたようだ。 とにかく、刺激の強いもの(とうがらし、にんにくなど)をとらない、 腹八分目に食べるようにとしつこく何度も言われた....。 キムチも赤いのじゃなくても、刺激がつよいので水で洗ってたべるようにと..。 (でも、とうがらし、にんにくを避けて食べるのは韓国では難しいのでは? と思ったが....。) 自分で思うに、もともと日本にいる間に、お腹が弱っていて、 旅行で疲れているうえに、さらに刺激の強いものばかり食べたからだと思う...。
地下鉄に乗って行った。この地下鉄で物売りがまわってきたのがおもしろかった。 スーツとかを入れるようなハンガーを売ってた。 私が病院に行ったせいで時間がなくなり、かなり 早足で国立中央図書館に向かった(これでかなりばてた気がする)。 柳さんが約束していた人は急な出張が入り、 柳さん自身が案内してくれることになった。
韓国の教科書の特別展示をみているときに、たまたま、以前、筑波大で研究生を していたという柳さんの友人に会い、その人に案内してもらえることになる。 彼はちょうどこの9月に転属になったばかりだそうだ。
一通り見学させてもらう。印象的なのは結構日本語の蔵書があったこと、 修士、博士の学位論文の蔵書があること、WWWからそれらの学位論文の 検索・閲覧ができること、非常にしっかりした磁気を本にしこみ、 ページを破ってもっていこうとしてもばれるようになっていることなどがある。 ちなみに、蔵書は開架式だった。
すこしジュースを飲んだりして休憩してから、 民族村に向かう。民族村へは柳さんの大学のサークルの先輩に 車を出してもらって連れていってもらった。
チョゴリを着て写真に写る。これがかなり高くって80,000ウォンもした。 この旅最大の誤算....。ここにのせている写真は柳さんが撮ってくれたもの。 おお、高久が写っている写真の後ろのほうに、結婚アルバムの撮影をするために きている花嫁(ウエディングドレス姿)も写っている...。
この民族村も広くて疲れた。 だいたいは国立民族博物館でみてたので予備知識(?)はあったかも。 おもしろいのは、ただの展示じゃなくて、本当に米をつくってたり、紙や工芸品を 作ってたこと。紙のつくりかたは和紙とかわらないように見えた。
最後に、農楽、板遊び、綱渡り、伝統結婚式をみた。 農楽は太鼓などをつかってぐるぐるまわりながら踊るもの。 なかなか体力のいりそうな踊りだった。 板飛びは簡素なシーソーみたいなのを使って飛んでわっかを飛んだりしてた。 綱渡りは、結構いい年したおじさんがなんかいろいろ喋りながら (ハングルなのでわからないけど) わざと落ちそうになってみたり、 けんけんで渡ったり、おしりで渡ったりとなかなかおもしろかった。 伝統結婚式では、近くでテレビの撮影があったらしくそちらのほうが気になった...。 そうそう、民俗村は撮影所としても使われているそうだ。
次は江南大学の図書館を見学することとなった。 柳さんの友人に江南大学の図書館の職員がいるので。 一通り図書館を案内してもらう。サーバ室にでっかいLGのサーバがあった。 NTらしきものでサーバを動かしていた。 学生のボランティアがやっている自治会みたいなものがあって、 館内をきれいにする運動とかを手伝っているらしい。
図書館の事務室でお茶をいただいた。案内してくれた彼は、 今度、岐阜で行われる図書館全国大会に 出席するために日本に来るそうだ。 江南の日本語パンフレット、英語パンフレット、 腕時計をいただいた。図書館の職員のみなさんと一緒に、 鴨料理を食べに行くことになった。
鴨料理屋に行くときに乗った車で、 日本語のCDを聞かせてくれた。驚くことに「ギンギラギンにさりげなく」と 「ブルーライト横浜」があった。 鴨料理は今、韓国で流行っているらしい。 薄切りのベーコンみたいなのや、ロースみたいなのと、 生の玉ねぎを胡麻油系のタレにつけて食べるというもの。結構おいしかった。 あとは、骨付のまま焼いたのを同じタレで食べる。 あとは相変わらずさまざなキムチ。 あと、大学生のコンパのような遊びで飲んでいた。 掛け声とともに、全員誰かを箸で指し、親が2から10までの数を言って、 親から順番に箸で指した人をたどり、 言った数に該当する人がお酒を飲むというもの。 このとき飲んだお酒はジンロだったと思う。 この鴨料理やはすてきなところで、ロッジふうな作りになっていて、 庭には滝もあった。高久が写っている方の写真は実は滝の前で、 撮しているのだが....、うまくとれなかったようだ。
このあと、カラオケに行くことになった。 韓国のカラオケ屋は、 なにかしらのテーマに沿った建物になっていることが普通で、 私たちが行った所のテーマは、「エイリアン」だった。 壁とかがどろどろした感じで、各ボックスが、なにかの卵みたいなのを模していた。 そこで私たちが歌ったのは、「いとしのエリー」「乾杯」「おどるぽんぽこりん」 「ブルーライト横浜」。
すごーく遅くなってしまったのでホテルに泊ることにする。 しかも○○ホテル。50,000ウォンでした。インターネット、ビデオは見放題で、 冷蔵庫の飲み物(オレンジジュースとファイブミニ)も無料らしい。 寝る前に、柳さんと明日の打ち合わせにファミマの前のテーブルコーナーに、 お茶しに行く(柳さんの江南大学の友人も一緒)。 学術的なまじめな話を2時間ほどしてしまった。 このときに彼にお菓子を買ってもらった (結構おいしいらしい)。 次の日は板門店ツアーが13:00に集合しなければならないのと、 このへんは8:00台はラッシュで混むので出発は9:00以降がよいとのことだったので、 9:00に出発することにする。
寝る前にテレビを着けたら、例のアメリカの同時多発テロのニュースをしていた。 この時はじめてこのニュースを知る。
8:30に起きて、9:10ごろホテルを出る。昨日行ったファミマの前で朝食を軽く食べ、 高速バス、地下鉄、タクシーを乗り継いで、1日目に泊った柳さんの友人宅に向かう。 タクシーを待たせて、板門店ツアーに行ける服装に着替えて、板門店ツアーの集合場所の近くに急いで行く。(このとき11:50くらいだったと思う)
韓国ののり巻きを昼食に食べる。日本の太巻きと似ている。キムチ巻きなどがあった。 半分くらいしか食べれなかったので、残りは包んでもらった。 板門店ツアーまで時間があるので、世宗文化会館の木陰で休憩したり、お店を覗いたりする。高久がCDを買った。ピッチャーの投球している人や、人形を操っている人の像があり眺めたりする。 通りをはさんだ向かいはアメリカ大使館だったのだが、 アメリカで同時多発テロがあったせいか、物凄い数の警官やパトカーを見掛けた。
時間になったので板門店ツアーの集合地 (Panmunjom Travel Centerのデスク:光化門ビル<東和免税店>3階)に行く。 もう時間が近いというのに、私たち以外に2人しかいないので不思議がっていたら、 アメリカで同時多発テロによって、板門店ツアーが中止になったとのこと。 なるほど、他の人は事前にツアー主催者から連絡を受けていたので、 来なかったのだとわかる。 しかたないので、お金を返金してもらい、空いた時間をどうするか考えることにする。 パンフレットなどで有事があったら中止になることがあるとあったけど、 なるほど、こういうのが有事なのか。しかし自分が巻き込まれるとはと、 これはこれでおもしろかった。 アメリカで起きたテロがこんな遠い所に影響するなんて、 しかも自分にもろに影響するなんてね。
1日目に休みで行けなかった昌徳宮(チャンドックン)に行って、大学路に行くか、 南大門を見て、南大門市場にいって...にするかどちらがいいかということになって、 なんとなく、南大門のほうにした。
南大門に向かって歩き始める。 途中、観光案内所があって柳さんはなにやら問い合わせていてメモをもらっていた。 あと、徳寿宮があってそこで王宮守門将交代儀式が14:00からあることがわかり、 明日行くかという話になった。 あと、帰りの空港に行くにはここ(Seoul City Hall前)から 空港行きのバスに乗ると柳さんに教わった。 歩いて南大門まで向かう。
南大門の見えるところで写真を撮る。南大門の屋根には、王宮でみた屋根と同様に、 魔除けをあらわす6体(?)の動物の像があった。
歩いて南大門市場に向かう。ここはアメ横と雰囲気がとても似てた。 鞄屋とか海苔屋とか、Tシャツ屋とか。 声のかけかたも似てた気がする。とにかく、韓国人と日本人の見分け方が完璧で、 前を歩いていた柳さんには一言も声をかけないのに、私達にはガンガン日本語で、 「おみやげにどうですかー」とか声をかけていた。 高久はここで姪に韓国のキャラクターの香りのするぬいぐるみを買った。
タクシーに乗って南山公立図書館に行く。 柳さんが以前働いていたので、彼女の元同僚に案内してもらうことになる。 その前に、柳さんが元同僚に連絡しているときに、 20代くらいの男性に「Are you Japanese ?」と聞かれて「Yes.」と答えると、 「ギンギラギンにさりげなく」と書いた文字を見せて「What's mean ?」と聞かれた。 う〜ん、意味といわれてもな〜と困っていると、柳さんが帰ってきて、 この話をすると、「え、意味ないんじゃない?」まあ、そうといえばそうなんだけど。 結局、きらきらとかぱちゃぱちゃみたいなものだと、 柳さんは説明していたようだ(たぶん)。 納得したようで、彼は高久に握手しながら「ブルーライト横浜」 と言って去っていった。 今、韓国では、「ギンギラギンにさりげなく」 とか「ブルーライト横浜」が流行っているのだろうか? それともそんな曲が入っているオムニバスのCDでも売っているのだろうか....?
ジュースを頂く。この時飲んだのはキウイジュース。 日本ではキウイのジュースって、あまり見掛けない気がする。 韓国のキウイは日本のより少し小さいのだそうだ。 そういえば韓国の缶ジュースって250ccかそれよりも小さいのしか売ってないようだ。 これも日本と違うとこだ。
インターネットに繋がっている誰でも利用できるPCが沢山並んでいる電子ルームを 案内してもらった。少しの間そのPCを触ってみる。メモリが32MBだった。 部屋はとても感じの良いところで、とてもリラックスしてPCを使えると思った。 ここでは、自分のノートPCを持ってきてインターネットに接続できるようにもなっていた。DHCPじゃなくて固定アドレスだった。
この図書館は南山公園の中にあってとても環境のよいところだった。 上のほうの階に上るとさらによい景色だった。 この図書館では各資料室に荷物はもって入ってはいけなくて、 各資料室にあるロッカーに預けなくてはならない。 このときのシステムが少しおもしろくて、 図書館の入り口にある利用カードを一つとって、 それを各資料室の受付においてロッカーの鍵をひとつとって、 ロッカーの鍵をとってそのロッカーに荷物を入れるというもの。 どうして、こんな仕組みになっているのかイマイチわからなかった。 (質問すれば良かった。)
ちょうど、蔵書整理をしているところで、 書庫に移す本は横に倒して書架に並べていた。 いまは書庫に移す本のリストはバーコードでリストアップできるが、 柳さんが勤ていた頃は手でリストを作っていて大変だったとか。
書庫も見せてもらった。何人もの職員が作業中でした。 でも、書庫の本は縛ってあるのが多くて、 利用者が書庫の本を使いたい場合はどうするのだろう?とちょっと疑問に思った。 可動式の書庫を使っていたが、一杯になっていて、これ以上は建物の耐久性により 増やせないとのこと。
結構古い建物なので、5階建てだがエレベータはなかった。 各国の教科書を展示していた。日本のもあった。
ケーブルカーの発着所までタクシーに乗る。 でもタクシーがなかなか捕まらなくて苦労する。 結局、反対側を走っていたタクシーがわざわざ向かってきてくれた。 このタクシーの運転手さんはとても親切で、 今までの中で一番親切で運転もおとなしかった。
このへんは日本で言う政治家が密談に使う料亭が、 昔は多かったそうだ。ケーブルカーの券(往復:4,800ウォン)を買う。 疲れたので、往復の券を買った。 ケーブルカーに乗るまで休憩することにする。やっとお茶が買えた。 韓国では日本と同じようなジュース(ポカリ、桃の天然水、ファンタ、コーラ) が買えるけど、あまりお茶は売ってないようだ。
ケーブルカーからの眺めはとてもよかった。でも、ケーブルカーの真ん中にいたので 外が見えずらかったので、帰りは良い場所をとろうと思った。
頂上に着くとすごくよい景色が眺められた。狼煙を上げるための建物があった。 私たちだけでソウルタワーに上った。ソウルタワーを上るエレベータでは、 日本語のみでアナウンスが流れたので、変だなと思った。 今日も晴天だったのでかなり遠くのほうまで景色が眺められた。 でも、風で微妙に揺れているらしく、ちょっと気持悪くなった。 私は昨夜ほとんど酒を飲んでなかったのでまだましだったが、 高久は結構つらそうだった。 コーヒーを飲んだりしてのんびりしながら一通り見たら、ソウルタワーを降りた。 エレベータのアナウンスは、今度はハングルしかなかったので、 エレベータに乗っている人を見て、 エレベータガールがボタンでアナウンスの言語を変えていることに気づく。 ちょっと、お腹がすいたので、お昼に食べきれなかったお寿司を食べた。
帰りのケーブルカーでは列の最前に並び、一番よい場所をゲットして、 景色を満喫した。でも、最前列だったので、 自分が高い場所にいるのがもろにわかって、 楽しかった(高久は怖いといっていた)。
タクシーに乗って明洞(ミョンドン)に向かった。 ロッテデパートをグルリと一周してみた。 日本よりも売り子さんが多くてびっくりした。 柳さん曰く、韓国の人は売り子さんにおだてられて買ってしまう傾向(?)にあるそうだ。 陳列の仕方も日本とは微妙に違っておもしろかった。 ここの地下でもあいかわらず、売り子さんから日本語で話しかけられた。
ロッテデパートの外でちょっとしたビアガーデンがあったので、ビールを一杯と フライドチキンとフライドポテトを食べた。 ここで柳さんと、日本と韓国の意識の違い(家族、少子化、戦争などの) についてちょっとだけ語った。
明洞(ミョンドン)を歩いた。 ここでパシュミナ、CD、カードかけ(どれもすごく安い...)を買った。 この通りは、安い物からブランドまでごちゃ混ぜにならんでいるので、 見ていてあきないと柳さんから聞いた。この通りでも、結構日本語で声をかけられた。
泊めてもらっている柳さんの友人が良く行っている焼き肉屋に、 タクシーで行った。 すごく高級なところで、一テーブルに、一人が給仕に張り付いて焼いていた。 アミも一つ焼くごとに交換していた。 すごくおいしかったけど、わりと食べていたので、結構お腹一杯になっていて、 もったいないことをした。 そういえば、食後に必ず飴かガムを勧められていることに気づく。 たぶん、キムチなどの臭い対策なのだと思う。
そのあと彼女のそのまた友人の奥さん(?)がやっている美味しいお茶を出す喫茶店に、 連れていってもらった。とても雰囲気のよいところで、照明はロウソクだった。 そこではアイスクリームを食べた。高久は冷たい朝鮮人参茶(レモン入り)を頼んだ。 柳さんに沢山写真を撮ってもらった。
歩いて柳さんの友人宅に向かった。だいたい20分くらい歩いた。 途中、車のシート全部パンダにしているのを見掛けて思わず写真に撮る。 結婚式場があって、韓国の結婚式場はだいたい屋外チャペルがあるそうだ。 そこでも写真を撮ってもらう。
朝、コーヒーとパウンドケーキをいただいた。 朝食に、豆腐でとても有名な(グルメ番組などでも紹介されている) お店に連れていってもらった。 たしかにすごく豆腐がおいしかった。 でも、こう辛くて、胡麻油で...というのが続くとつらくて、 あまり食べれなくって、ずいぶん残してしまった。 韓国にきて残さずに食べたのはほとんどなくて、 もともと残すのは好きではないので精神衛生上非常によくない...。
尼寺にいくので山を上るよと言われたが...、 本当に山を上る、っていうかハイキング だとは思わず、びっくりする。お腹の調子が悪かったのと、 いままでの旅行で疲れていたなどもろもろの事情により、 息が上がってしんどいばかりだったのを柳さんが見かねて、 結局、途中で断念。 渓流沿いのコースで景色はめちゃめちゃきれいでした。
ソウルでは山がすぐそこまで迫っていて近いので、 休日にハイキングを気軽に楽しめるそうだ。 私達が行ったのは国立公園内のハイキングコースで、 いくつものコースがあるところだった。 ここでは毎年そのなかから一つのコースを閉鎖して、 一年かけて清掃や自然の修復をしているのだそうだ。 このようなことをしているのと、日本よりは自然環境への意識が高いのか、 どこにもポイ捨てのゴミは見かけませんでした。
美術館に行くことにする。途中でヤクルトをのむ。といってもジョアのようなやつ。 タクシーで美術館に向かった。 陶磁器などが展示してある小さい部屋を一通りみたあと、美術館のなかにある お店を一通りウインドウショッピングした。 昨日、ここで、韓国で人気のある歌手が野外ライブをしたそうだ。
バスにのってソウル市街に向かう。教保文庫という本やさんに行く。 韓国ではコミックは子供コーナーにあることが多いとか。 大半のコミックは日本の翻訳のようだった。話のたねにハンター×ハンターを買う。 完全にすわりこんで本を読んでいる人を何人も見掛ける(大人子供問わず)。
昼御飯に、韓国の冷麺をたべる。さっぱりとして食べやすかった。 韓国では麺はいろんな穀物を使って作るので、 店によってなんの穀物で麺を作っているかは違うそうだ。
少し早いがアメリカのテロの関係でセキュリティチェックが厳しそうなので、 空港に向かうことにする。 柳さんにラーメンを一箱持って帰ってもらえないかと尋ねられる。 OKというと、すぐそばにあったファミマで箱ごと柳さんがラーメンを買う (かなり驚く)。高久の妹などのおみやげにと韓国海苔を買ってくれる。
仁川国際空港に向かうバスに乗る。 本当は寄るはずだった王宮守門将交代儀式をバスから写真に治める。 行きに写真に撮れなかった一面のピンクを写真に治める。 バスのなかでは普通のラジオ番組が流れていておもしろい。 このバスでは、大きな荷物を置くためのスペースが入り口近くにある。 こんなのがあるということは、韓国って結構治安がよいのだろうか? 高速の料金所の職員が女性ばかりなのも日本と違うところだ。
仁川国際空港らしきバス停なので降りる(たぶんあっていたはず)。 ずいぶん早く着いたが、リコンファームしてなくて不安だったので、 早速チェックインする。すると普通に席もとれていた。 やっぱりリコンファームはしなくてよかったのだろうか? バックの数と、スプレー缶の有無、あやしい荷物、 知らない人から預かった荷物の有無を聞かれた。
とりあえず、インフォメーションにいって、仁川国際空港のガイドブックをもらった。 空港使用料(15,000ウォン)を払った。 時間はたっぷりあるので、喫茶店でコーヒーを飲んでゆっくりした。 17:10ころに出国審査に向かう。 心配していた手荷物検査などのチェックはさほど厳しくなく、 空港も全然混んでいなかった。 免税店でマッコルリを探すが、扱っていないとのこと。 免税店ではドルが基本通貨だった。 アメリカのテロがあったからか、 私たちが飛行機に乗り込むときには日本語の新聞はもうなかったので、 しかたなく、ハングルの新聞をとった。
機内食はチンジャオロースみたいなやつだった。 席がちょうどスチュワーデスの給仕するコーナーの目の前だったので、 騒がしかったが、どんな作業をしているのかみれておもしろかった。 行きの飛行機は気流が乱れていてかなり揺れたが、帰りは全然揺れなくて快適だった。
あっという間に成田に着いたような気がする。 とにかく、ひょっとしたらつくばにかえれるかもしれないので、 いそいで入国審査に向かう。入国審査は、かなり早くできたが、 荷物がなかなかでてこなくて、30分くらいでてこなかった。 荷物を待っている人もまばらになっていた。 やっと荷物がでてきて、税関に行った。 「荷物はこれでぜんぶですか?」「どのくらいの滞在期間でしたか?」 「知らない人からの預かりものや、知らない荷物は混じっていませんか?」 「どこからの帰国ですか?」などに順調に答えたのち、 「失礼ですが、この箱の中身はなんですか?」 高久:「ラーメンだと思います」......、審査官の不振な目...。 わたし:「ラーメンです」で、無事何事もなく通ることができました。
もう21:40くらいになっていて、つくばに帰るのはあきらめて、 高久の実家におじゃますることになりました。